「自分の意見で生きていこう」を読んで自分の意見を言ってみた。
Amazonで目についたから、ちきりんさんが書いた「自分の意見で生きていこう」という本を購入して読んでみた。
すごく良い本だなと思ったので、感想を言いつつ大切なことをまとめていきます。
そもそも何で自分の意見を言わないといけないの?
本を購入する段階で「意見って何で持つ必要あんのかなぁ?」と思いましたね。
まぁ何となく意見ってあった方が良いんだろうなーとは思いつつも、明確に「何で?」って聞かれたら困ります。
本からもらった解答がこちら。
- 誰になんと言われようと、自分で自分の人生を認め、肯定できるようになるために不可欠なもの、それが自分の意見です。 副題にあるように、これからの社会を生き抜くためには、さまざまな「正解のない問い」への答えを、自分自身で導き出していくことが求められます。
- 「正解のない問題」について自分の意見が明確にできなければ、自分オリジナルな人生を作っていくことができません。どこに住み、誰となにをして暮らし、なにに時間とお金とエネルギーを注いでいくのか。ひとりひとりの人生は、そういった正解のない問題への答え(選択)によって形成されていくのです。
あー、なるほど。
正解のない問題に対する意思決定に意見が必要ってことですね。
- 結婚すべきかどうか?
- 就職すべきか起業すべきか?
- 賃貸に住むのか持ち家に住むのか?
こういった正解のない問いに対しては、人の意見ではなくて自分の意見で意思決定しないと後悔します。
仮に失敗しても「自分で決めたこと」なら後悔は少ないはず。
周りに流されずに自分の人生を生きるためには意見が必要不可欠ってことですね。
意見=ポジションを明確にすること
次に出てきた僕の疑問は、「じゃあ意見ってなんなん?」ってことです。
意見って何を意味してるのか説明しろって言われたらムズイ。
本からの引用がこちら。
- そして「自分の意見を言う」とは、「自分のポジションをとること」だともいえます。発言によって「その人がどこに立って発言しているか」が明確になっていれば、それは「意見」だといえるのです。 一方、それらしく聞こえても「その人のポジション(立ち位置)がどこなのか、わからない言葉」は、意見ではなく反応に過ぎません。
納得です。
意見とは、自分のポジションを取ること。
たとえば「賃貸か持ち家か」などの正解にない問いに答えることです。
意見と反応の違い
意見とはポジションを明確にすること、一方で反応とはポジションを明確にしないこと。
たとえば、僕がコロナの時の厚生労働省の対応について「厚労省の対応は間違っている」と発信したとしましょう。
- お前の意見は間違っている
- そんな意見を言って何になるんですか?
- 厚生労働省はどうすれば良かったんですか?
こういったポジションが明確になってない反論っぽい主張はすべて反応なんですね。
- 厚生労働省は僕もヒドイと思う
- 悪いのは厚生労働省じゃない、そもそもの国の制度
こういった議題に対しての賛成か反対かのポジションが明確なもんが「意見」です。
Twitterでよく見かけるクソリプとかは、「反応」であるとわかります。
この本で言いたいことは、意見は人と違って当たり前ってこと
自分の意見で生きていこうと言われると、意見を持つのが怖いとか間違ってたらどうしようって考えが浮かぶと思います。
結論としては、意見は人それぞれ持つものなので正解かどうかを気にする必要がないとのことです。
正解がない問題に対しての考えが「意見」です。
であれば、意見に正解も間違いもあるはずありません。
賃貸が良いか持ち家が良いかなんで、個人の価値観と照らしあわせて意見を持つしかないですからねぇ。
間違ってたらどうしようとか気にする必要ないってことですね。
意見を言う時に気をつけること
- 意見を言うときに気をつけるべきは、その意見が正しいか、間違っていないか、ではなく、むしろ「その自分の意見とやらは、本当に自分の意見なのか?」ということのほうでしょう。 どこかの本に書いてあった「誰かの意見」や、ネットで見かけた「みんなが言っている意見」ではなく、本当に「自分のアタマで考えた自分の意見なのか?」ということは、しっかり確認する必要があります。
これはめっちゃ共感でした。
情報があふれまくってる社会で生きてる我々は無意識に誰かに影響されまくってると思います。
僕も他人の言葉を借りないってのは、めっちゃ気をつけていて
- 本を読んでわかった気にならない
- 他人の言葉を借りてるだけじゃないか?自分の体験をともなってるか?
- 心の底から納得していることを言っているか?
すごく意識しています。
ちきりんさんいわく、「これは本当に自分の意見かな? 誰かに影響されていないかな?」と確認したいときは「世の中の9割の人が異なる意見であっても、自分の意見はコレだと断言できるか?」と考えてるとのこと。
これは即実践したいですね。
ということで自分の意見を言ってみた
「TikTokやインスタグラムみたいな知的好奇心を満たせないコンテンツはつまらん。」という意見をブログ記事にしてみました。
素晴らしい記事! https://t.co/VFBkVesOET
— ジャバ・ザ・ハットリ🇩🇪←🇸🇬←🇯🇵 (@nodenodenode1) January 11, 2024
同感。“ むしろ見れば見るほど脳みそが退化する気になって、自己肯定感が下がるばかり。”地上波TVの夕方の番組もこんな物が多くて見なくなったがYouTubeも含め「完成」されたパターンに寄っていくのかな。知的好奇心を満たしてほしい。 https://t.co/hp6DyeiCYx
— tf (@AnalyseTf) January 11, 2024
いつもよりも反響があって嬉しいです。
- 「発言者がどんな人かが伝わってくる発信」とは「その人の意見」であり、反対に、いくら読んでも発言者の人格が伝わってこない発信とは「反応」としか呼べない発信なのです。
本書ではこんなことが書かれていましたが、人をひきつけるのは反応ではなく意見なんですよね。
今後も意見を発信していこうと思います。
最後に:自分の意見で生きていこう
自分の意見で生きてるつもりだけど、実は他人の意見に流されてるだけって何だか怖い現象ですね。
自分の人生を生きてないみたいで。
最後に、印象に残ったフレーズを引用して終わります。
- そういわれても、「意見」を言うなんて難しいと感じるかもしれません。「知識不足で、よくわからない」と思えることもあるでしょう。でも、間違いを怖れたり、遠慮したりする必要はありません。意見には間違いも正解もないからです。
おすすめの本はこちら
⇛ネテロ書房